nanairo365’s diary

興味の幅が広くて頭の中がサンリオピューロランドなブログです

壮大な仕掛けにまんまと引っかかってることに気付いたら癒されていた、話。

まさかの壮大な心理作戦だったのか…と気付かされる良コラムでした。

 

https://note.mu/suisuiayaka/n/n93192508a9a9

 


そういえば…。地元ローカルのとあるバラエティ番組に新人レポーターの女の子が入った時。まあビックリするほど進行が下手で棒読み過ぎて、観ているこっちはイライラハラハラさせられていた。でもね、1年ほど経った今は表情も幾分やわらかくなって棒読み感がなくってきたんだよね。それでも危なっかしい進行ではあるんだけど。

 

 

でもこのコラム同様、気付いたらいつもそのレポーターを見ていることに気付いた。夫とは「最近、この子 やっとこさ笑顔で喋れるようになってきたよね。成長したよねえ…は〜感慨深いわー」と番組を観る度に話す。これはまさに「NHKのど自慢に出ている家族を見守るような気持ち」だったのではないか。キャスティングしたテレビ局に心理作戦の意図があったかどうかは謎だけれど…笑

 

 

 

以前、同じくローカルなラジオで仕事をしていたことのあるわたしは、当時「最初から完璧でそつのない進行」を目指してもがいていたことを思い出した。その時にこのコラムを読んでいたら目からウロコだっただろう。視聴者やリスナーは、必ずしも完璧なものや完成されたものを求めているわけではなく「お茶の間に見守られながら成長していく」という感覚の楽しみかたもあるのだということが書かれているのだから。

 

 

 

もしかすると、わたしをキャスティングしてくれていたメディアの方々は「完成されていない感じ」を楽しんでくれていたのかな。数年経って、自分を取り巻く環境が変わって初めて気付く「もしかして…」な話。あー、惜しいことしてた気がしてきた笑

 

 

まあ、渦中にいる時には必死にこなそうとしているから得てして気付きにくいもんだよね。でも今 こうしてコラムによって気づけたことで、あの時もがいていた自分をギュッと抱きしめてあげたような感覚を得ている。一つのコラムから、自分自身の過去の感覚まで癒されてしまうなんて不思議だ。この作者さんのnote、また覗いてみよう〜っと。